祈ることをやめないでください
ルカ18:1-8; 1テサロニケ5:17
イエスさまが語ろうとする内容は、たとえの最初の部分から明確です。1節「いつでも祈るべきであり、失望してはならない…」
祈ることに飽いてはならない
ここでイエスさまは、神さまと不正な裁判官を比べています。しかしここで比べると言っても、両者を対等に比べている訳ではありません。不正な裁判官は、やもめの度重なる訴えがうるさくて仕方なく、判決を下しました。それよりもはるかにすばらしい存在として、神さまは描かれているのです。
7節「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」
神と不正な裁判官の違い
– 2節 裁判官は神を敬わず、人を人とも思っていませんでした。
– 神は人類から恐れられるにふさわしいお方です。同時に神は、たとえ人が間違えた判断をしたり、創造主に従わないことを選んでも、人の意志を尊重します。
– 5節 裁判官が女性に答えた動機は、彼女がうるさくて仕方がないから。
– 7-8節 神は神の時に問題に関わってくださいます。神は、夜昼神を呼び求める選民のすぐ傍に喜んで来てくださる方です。
1. 祈りとはなにか?
簡単な定義は: 祈りは意図して神にメッセージを伝えること
神に伝えるメッセージとは:
a) 求めることできる(求め・懇願)。マタイ7:7
b) 神を賛美し、礼拝できる。詩篇145:2,3
c) 神がくださったものや、行なってくださった業に感謝できる。黙示録11:17
d) 罪を告白し、主に謝ることができる。詩篇32:5
e) 主に不平を言うことができる。詩篇142:1,2
確かに、不平を神に言うべきではないことはわかってはいます。しかし時に、私たちの心は、神が与えた状況に不平を言いたくなります。神はこの状況をご覧になっていないと考えるよりも、意識して神に思いをぶつける方が良いでしょう。不満はないという振りをするのは、偽善であり、そうすると次第に偽善的で、表面だけの不自然な人になってしまいます。
f) 人の代わりにとりなすことができる。 1サムエル2:23、エペソ1:16
2. どこで、だれとともに祈るか
i) 一人奥まった個人的な部屋で マタイ6:5,6
ii) 家族とともに(毎日) 1ペテロ 3:7
iii) クリスチャン同士の小グループで マタイ18:19,20、使徒4:29-31
iv) 礼拝で
v) どこでも、いつでも神に求める 1テモテ2:8
3. 神が全知の方なら、なぜ祈らなければならないのか
a) 神があなたに言われることは:
互いに祈りなさい。いやされるためです。ヤコブ 5:16
絶えず祈りなさい。 1テサロニケ5:17
試みにあわないように祈りなさい。ルカ22:40
あなたをのろう者を祝福しなさい。侮辱する者のために祈りなさい。ルカ 6:28
こう祈りなさい。「天にまします我らの父よ…」マタイ6:9
b) 喜びが増すため ヨハネ16:24
もし今、神さまにある喜びが小さいのならば、もしかすると祈りが少ないことが、原因のひとつかもしれません。求めなさい。あなたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
c) 驚くほど大きな特権だから ローマ11:34-36、ヤコブ 4:2
私が祈ることは、すでに神はご存じです。神さまは神である方です。
祈りが私たちの行うことの中心であるようにと、神は命じています。ヤコブ4:3は「祈らなくても、ともかく何かが得られる。神には計画があり、祈りには意味がない」ということではありません。「あなたがたのものにならないのは、願わなかったからです」の意味は、祈らなければ得られないものを、祈ることで得ることができるというものです。世界で働く神の御業に参加できるという、この特権を無視することは、愚かなことです。
d) 祈りは御父と御子に栄光を帰します。 ヨハネ14:13、2コリント 1:11、詩篇50:15
祈りが答えられる時、神に感謝をささげます。神が力をもって祈りに答えることを求め、神に栄光を帰します。そのために、私たちは祈るのです。私たちはイエス・キリストによって、神のすべてにまさる偉大さを伝え、すべての民に喜びを広げるために、存在しているのです。
人々のために祈りましょう。あなたの心を神に、何度も伝えましょう。あなたが始めたことを、終わりまで忠実に行ってください。
ズィンガ 礼音
アジアで天幕製造人