Archive for the ‘私のデボーション’ Category

主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、

主よ、誰が見前に立ち得ましょう。詩篇130:3(NIV)

さて、四人のシャラトに冒された人が、町の門お入り口にいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。」たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死なければならない。ここにすわっていても死んでしょう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼が私たちを生かしておいてくれなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、その時に死ぬまでのことだ。」こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。見ると、なんと、そこにはだれもいなかった。

このシャラアトに冒された人たちは、陣営の端にきて、一つの天幕に入り、食べたり飲んだりして、そこから、銀や金や衣服を持ち出し、それを隠しに行った。また、戻ってきては、ほかの天幕に入り、そこから持ち出し、それを隠しに行った。彼らは話し合っていった。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで行っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家にしたせよう。」彼らは町に行って、門衛を呼び、彼らに告げて行った。「私たちがアラムの陣営に入っててみると、もう、そこにはだれもあらず、ひとのこえもありませんでした。ただ、うまやろばかつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」礼王紀第二7章3−5、8−10節

今日の聖書箇所ではいくつかの場面で見受けられる、3つの強調点があります。

すなわち、すべての章で出てくる深刻な食糧不足、3節の病い、6節の戦いです。翻訳の違いはありますが、聖書にはシャラートという言葉が40回以上は登場しています。レビ紀13章では、シャラートへの対処の仕方がれていると考えられていました。シャラートにかかった人々は、肉体的も、霊的もけがていると考えられていました。家族と同じ家に住む事も許されなかったのです。

イスラエル人に命じて、しゃらアトの者、漏出を病む者、死体二よって身を汚している者をすて宿営から追い出す。民数紀5章2節

彼らの生活は希望がなく、本当に惨めな生活だったと思います。しかし、そんなかれらが、イスラエル民族の中で一番幸せになり、歴史さえも変えてしまったのは興味深いことだと思いませんか。彼らの幸せは食物や経済的な裕福さによって与えられたものではありませんでした。聖書をみると、9節で彼らが口に出したことを10節を見ればわかるように、実際に行動に起こしてじっせんしたことによってはじめてもたらされたのです。

この聖書箇所について考える時、私は自分自身の内側を見せられた本当に恥ずかしい思いをしました。どうしてでしょうか。ここにいるほとんどの皆さんは、わたしも含めて第二列起き7章に出てくる男たちとは全く対照的だからです。救いに至る福音を信じているのにです。またイエス様だけが真実と人生のただのただ一つの道であることを知っているはずなのに、です。私たちは、この素晴らし主を自分たちの中にだけ大事に閉じ込めてしまって、人々に分かち合っていないのです。

イエス様が私たちを救ってくださったのに、どうして、知り合いや、友達、お隣の方、同僚にこの素晴らしい救いを分かち合わないのですか。「ライフスタイルとして、すべての人にイエス様をを紹介しませんか。」

兄弟姉妹、神様は私たちに伝道を命じられたのです。

 2の分はこちらです。

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ペテロ第一の手紙3章15節

さて、いくつかの事をご一緒に考えてみたいと思います。

「どうして教会にいくのと聞かれたら何と答えますか?」「イエスってだれ?」「あなたが信じていることをどうして、信じられるの?」「どうしてクリスチャンになったの?」

確かに私たちにはできないことがあります。例えば、人々の心を変えることは私たちの働きではありません。人々の魂をうことも、そうです。それらができるのは、ただ一人、神様だけであり、私たちにはできないのです。もちろん、私たちはに責任がないと言っているのではありません。なぜなら、私たちは何らかの責任を神様から与えられているのです。

私たちができることを見ていきましょう。

1)祈ることができる

そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少い。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。ルカの福音書10章2節

伝道は祈りから始まります。主によって、送り出されるよう祈り求める必要があります。

イエス様の助けを求める必要があります。聖霊様による導きを求める必要があります。人々の心が変えられるよう祈り求める必要があります。人々がイエス様にお出会い出来るような状況が与えられように祈らなければなりません。私たちは祈らなければならないのです。

重ねて言いますが、私たちは人の心を変えることはできません。しっかし、神様が人々の心を変えてくださるよう祈ることはできるでしょう。人の魂を救うこともできません。でも、神様が救ってくださるよう祈ることはできます。これこそが私たちの役割です。私たちの責任において、祈ることが出来るのです。

2)思いやることができる

神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放をつげ。イサや書61章1節

伝道は言葉だけによって行われるのではありません。私たちのクリスチャンとしての行動そのものが、伝道に効果的で大きな役割を果たしているのは事実です。行動をとおして私たちの信仰を表すことが出来た時、神様のメッセージょはより重みを持つのです。なぜなら、ばくぜんとした思想よりも、目の見える真理のほうが人々は納得するのです。

日本には、神様の愛と思いやりを知る必要がある人々が本当に多くいるのです。友達が寂しい時には、そばにいてともに過ごしましょう。知人が自身をなくしているなら、元気になるように助けてあげましょう。このような具体的名行動は、私たちの人を思いやる気持ちや、何より神様の思いやりを示すものになるのです。

これこそが、私たちに課せられた責任であり、私たちはできるのです。

3の分はこちらです。

3)分かち合うこと(知っていることを話す)

しかし、主を信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方とを、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。ロマンへの手紙10章14節

これまで見てきましたように伝道には祈りと思いやり、それに伴う行動が必要です。それと同時に、効果的な伝道には言葉も必要です。

心配しないでください。聖書のすべてを知っていないとだめだというわけではないのです。聖書を知っていることは確かな助けになるでしょうが、分かち合うのに絶対に必要というわけではありませんし、素晴らしい声の持ち主である必要もありません、素晴らしい演説をしないといけないというわけでもないのです。そういったものは、分かち合う意をより良いものにするでしょうが、必須ではありません。それよりも大事なことはちょっとした前準備です。ちょっとした準備によって効果てな分かち合いができるようになるのです。

どうしたらクリスチャン用語を使わずに2分以内で福音を分かち合うことができると思いますか?例えば「義とされる」という難しい言葉や「ポンテオピラト」と言ったよりなクリスチャンにしか理解ができない用語をなるべく使わないようにということです。そういた言葉は混乱を生むだけです。例えば、「小羊の血があなたを洗い清めるのです」といったことばでしょう。そんな言葉を使ったら人々は怖がって教会から離れてしまうでしょう。クリスチャンでない人々も理解できる言葉を使いましょう。

この中で2分以内で、自分がクリスチャンになった時のことを分かち合うことが出来る人はいますか?神様が最近あなたにしてくださったことを分かち合うのはどうでしよう。教会とは何であるのかや、礼拝に出席することの大切さをかち合うことができますか?「2分以内で」と私がいっているのは「2分以内」で収めようとすると、話が単純で簡潔であることの助けとなるからです。聞く人の注意を引くのに役立つのです。

今までお話をしてきたことは、効果的に分かち合うこと、よく知るために重要なことです。分かち合うチャンスが訪れた時に準備をしていることが本当に役立つでしょう、なにより、チャンスを逃したくないのです。もし、皆さんが私がお話ししたことについてできないとおっしゃるのでしたら、今週か来週のためにいくつか宿題をすることをお勧めします。神様が分かち合うチャンスを与えてくださったときの為に、準備をしておいてください。

もう一度、ペテロ第一の手紙3章15節を思い出してください。

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ペテロ第一の手紙3章15節

分かち合うためにはそれ以内の準備が必要です。すなわち、私たちの思いと心を準備することです。絶えずみ言葉に触れ、主のみもとに座り、聖霊様が知恵と識別する力を与えてくださるように祈りましょう。そして、聖書の通りに「穏やかに、適切な態度て」出来るようにしたいものです。これが私たちの責任です。私たちは分かち合うことが出来るのです。

今日、私たちは、伝道に召されていることを学びました。そして、伝道は社交的な人や話好きな人、特別な霊的賜物を持った人だけのものではないことを学びました。大宣教命令は、信じる人々一人びとりに、そしてすべての人のためのもんです。私たち一人びとりが、そしてすべての人が伝道に召されているのです。こと召しは避けられるものではないのです。

今日は、3つのことをお話ししました:祈ること、思いやること、そして分かち合うこと。

参考文献

山本 マイク、PCS3-祈るや思いやると分かち合う、箕面国際教会、2016.

礼音 徒仁, 私のディボ-ションの時,Angola’s Overseas Missions Projects, 箕面福音教会, 2016.

1分と2分はこちらこちらです。

Come and share something about your personal relationship with Christ.

Menga ma Yesu

  1. 概論

ただ神のみことばを読むだけでは不十分です。私たちに必要なことは飢え渇きをもって、それを読み、じっくりと考え、祈り、それを実践することを求めることです。神さまはそのようなみことばへの飢え渇きを、私たちに与えたいと熱望しています。そしてさらに多くの時間、神さまのみことばのうちに時間を過ごし、みことばが私たちのうちの飢え渇きを満たしていくことを、神さまは願っています。この最初のバイブル・スタディで、私たちは神のみことばを黙想することを考えていきます。この課で、皆さんの多くが、神さまがご自身のみことばを黙想するように与えた機会の恵みに目が開かれるように期待しています。そしてみことばが私たちを変える力をもつことを体験し、みことばの価値を理解し、その奥義を学ぶとき、周りの人々への祝福と私たちが変えられることを体験することでしょう。

2.   定義:神のことばの黙想の意味

 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。ヨシュア1:8

ヨシュアは律法の書を昼も夜も黙想するように指示されています。黙想は、ただ思いの中のことではなく、口と関係がある行為です。みことばはヨシュアのから離れませんでした。みことばを読むとは、言葉と音声で神との双方向の交流を持つことであり、みことばと信仰をつなげる作業でもあるのです。

i)   それは敬意の心をもって、神のことばに応答する献身の行為であり、聖霊にみことばのうちにある真理を現してもらい、私たちの人生に適用していくことです。

 神のことば + 啓示 + 個人的適用

 ii)  神の思いを黙想し、それを私の人生の一部にしていく行為です。

3.  みことばの黙想とは言えないものは?

i)   それは知能で行われる行為ではない。

神のみことばの黙想はあなたの頭脳の開く行為ではない。それはあなたの心を砕く行為である。

ii)   それは聖書のみことばの分析ではない(名詞、動詞…)

  1.  
  2. みことばを黙想する重要性

神がご自身の民と意思疎通をする方法はいずれにせよ、みことばに関連しています。それゆえ、みことばの黙想は、神のみこころと方法を知る助けとなります。イザヤ55:8-11

5.  黙想の条件

i) きよい心をもつ 詩篇24:3,4、詩篇139:23,24

ii)    主と主のみこころを喜ぶ 詩篇119:20,72,127,162、16:2、42:1-2、143:6-8

iii)    主のみこころに従いたいという思い ヨシュア14:23、ヤコブ1:22

iv) 信仰 ヘブル11:6

6. 黙想の目的

i)   神を知るため 神の品性ご性質を知る

神の品性:神そのものです。私たちもそのような品性を持つことができます。私たちの性格は、私たちの選択と決断の結果です。神の品性とは、神の道徳面での属性で、例えば義、寛容、恵み、きよさ、謙遜、寛大、忠実さなどです。

神のご性質:神がどのような方かについてです。私たちはそのようにはなれません。神独自の属性であり、全能、全知、遍在、霊、創造主、初めであり終わりである方などです。

ii)  神との愛の関係を深める

聖書は、神が私たちに書いた手紙のようです。聖書には神がどのような方か、私たちへの神の思いが表されています。また神が私たちにもっている意図や目的を、聖書を通して語ってくれます。

7. 効果的な黙想の原則

i)  心をさぐる 詩篇139:23,24; 箴言28:13; 1ヨハネ1:9;

ii) あなた自身にはみことばの啓示を得る力がないことを知り、聖霊に黙想を導いてくださるように求める 箴言3:5,6; エレミヤ17:9,10; ヨハネ16:13

iii)   悪魔に対抗する ルカ10:19; ヤコブ 4:7

iv)    みことばの黙想から神が示したことすべてのゆえに、神の感謝し、賛美する

v)   黙想する聖書箇所を十分理解できるまで何度も読む ネヘミヤ 8:3,8; 9:3; ヨハネ10:4,27

聖書箇所を通して、神があなたに語ることを、静かに待ち望み、注意深く考える。

8.   具体的なアドバイス

a)    適切な場所で、決まった時間に

b)    辞書(必要ならば)、ノートを用意し、神が語ることを書きとめる

c)  練習(ノートに書くべき内容。生活への適用)

日にち

聖書箇所

以下の質問に答えてみましょう(個人の適用)

今日の黙想で学んだことは何か?

神の約束はあるか?

約束のための条件はあるか?(その約束が成就するために整えるべき条件があるか?)

従うべき命令はないか?

従うべき模範はないか?告白すべき罪はないか?変えるべき心の態度はないか?

d)    1時間の黙想の時間を持つために

  1. 黙想の原則を行う:5分
  2. 神を賛美し、感謝する:10分
  3. 神のことばを黙想する:25分
  4. 祈り、礼拝、とりなしなど:20分

9.   みことばを黙想する利点

i)             誘惑に打ち勝ち、罪を避ける力を与える 詩篇119:9-11; 1ヨハネ2:14

ii)          人生の知恵を得る 詩篇119:97-99; 箴言4:4;

iii)         実を結ばせてくださる ヨシュア1:8,9; 詩篇1:1-3;

iv)         信仰を増し加えさせる ローマ4:18-21; 10:17;

v)         神の御心についての知識 詩篇119:105; ホセア4:6;

vi)        …

View original post 1 more word

神のことばを黙想する.

  1. 概論

ただ神のみことばを読むだけでは不十分です。私たちに必要なことは飢え渇きをもって、それを読み、じっくりと考え、祈り、それを実践することを求めることです。神さまはそのようなみことばへの飢え渇きを、私たちに与えたいと熱望しています。そしてさらに多くの時間、神さまのみことばのうちに時間を過ごし、みことばが私たちのうちの飢え渇きを満たしていくことを、神さまは願っています。この最初のバイブル・スタディで、私たちは神のみことばを黙想することを考えていきます。この課で、皆さんの多くが、神さまがご自身のみことばを黙想するように与えた機会の恵みに目が開かれるように期待しています。そしてみことばが私たちを変える力をもつことを体験し、みことばの価値を理解し、その奥義を学ぶとき、周りの人々への祝福と私たちが変えられることを体験することでしょう。

2.   定義:神のことばの黙想の意味

 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。ヨシュア1:8

ヨシュアは律法の書を昼も夜も黙想するように指示されています。黙想は、ただ思いの中のことではなく、口と関係がある行為です。みことばはヨシュアのから離れませんでした。みことばを読むとは、言葉と音声で神との双方向の交流を持つことであり、みことばと信仰をつなげる作業でもあるのです。

i)   それは敬意の心をもって、神のことばに応答する献身の行為であり、聖霊にみことばのうちにある真理を現してもらい、私たちの人生に適用していくことです。

 神のことば + 啓示 + 個人的適用

 ii)  神の思いを黙想し、それを私の人生の一部にしていく行為です。

3.  みことばの黙想とは言えないものは?

i)   それは知能で行われる行為ではない。

神のみことばの黙想はあなたの頭脳の開く行為ではない。それはあなたの心を砕く行為である。

ii)   それは聖書のみことばの分析ではない(名詞、動詞…)

  1.  
  2. みことばを黙想する重要性

神がご自身の民と意思疎通をする方法はいずれにせよ、みことばに関連しています。それゆえ、みことばの黙想は、神のみこころと方法を知る助けとなります。イザヤ55:8-11

5.  黙想の条件

i) きよい心をもつ 詩篇24:3,4、詩篇139:23,24

ii)    主と主のみこころを喜ぶ 詩篇119:20,72,127,162、16:2、42:1-2、143:6-8

iii)    主のみこころに従いたいという思い ヨシュア14:23、ヤコブ1:22

iv) 信仰 ヘブル11:6

6. 黙想の目的

i)   神を知るため 神の品性ご性質を知る

神の品性:神そのものです。私たちもそのような品性を持つことができます。私たちの性格は、私たちの選択と決断の結果です。神の品性とは、神の道徳面での属性で、例えば義、寛容、恵み、きよさ、謙遜、寛大、忠実さなどです。

神のご性質:神がどのような方かについてです。私たちはそのようにはなれません。神独自の属性であり、全能、全知、遍在、霊、創造主、初めであり終わりである方などです。

ii)  神との愛の関係を深める

聖書は、神が私たちに書いた手紙のようです。聖書には神がどのような方か、私たちへの神の思いが表されています。また神が私たちにもっている意図や目的を、聖書を通して語ってくれます。

7. 効果的な黙想の原則

i)  心をさぐる 詩篇139:23,24; 箴言28:13; 1ヨハネ1:9;

ii) あなた自身にはみことばの啓示を得る力がないことを知り、聖霊に黙想を導いてくださるように求める 箴言3:5,6; エレミヤ17:9,10; ヨハネ16:13

iii)   悪魔に対抗する ルカ10:19; ヤコブ 4:7

iv)    みことばの黙想から神が示したことすべてのゆえに、神の感謝し、賛美する

v)   黙想する聖書箇所を十分理解できるまで何度も読む ネヘミヤ 8:3,8; 9:3; ヨハネ10:4,27

聖書箇所を通して、神があなたに語ることを、静かに待ち望み、注意深く考える。

8.   具体的なアドバイス

a)    適切な場所で、決まった時間に

b)    辞書(必要ならば)、ノートを用意し、神が語ることを書きとめる

c)  練習(ノートに書くべき内容。生活への適用)

日にち

聖書箇所

以下の質問に答えてみましょう(個人の適用)

今日の黙想で学んだことは何か?

神の約束はあるか?

約束のための条件はあるか?(その約束が成就するために整えるべき条件があるか?)

従うべき命令はないか?

従うべき模範はないか?告白すべき罪はないか?変えるべき心の態度はないか?

d)    1時間の黙想の時間を持つために

  1. 黙想の原則を行う:5分
  2. 神を賛美し、感謝する:10分
  3. 神のことばを黙想する:25分
  4. 祈り、礼拝、とりなしなど:20分

9.   みことばを黙想する利点

i)             誘惑に打ち勝ち、罪を避ける力を与える 詩篇119:9-11; 1ヨハネ2:14

ii)          人生の知恵を得る 詩篇119:97-99; 箴言4:4;

iii)         実を結ばせてくださる ヨシュア1:8,9; 詩篇1:1-3;

iv)         信仰を増し加えさせる ローマ4:18-21; 10:17;

v)         神の御心についての知識 詩篇119:105; ホセア4:6;

vi)          霊的成長 2ペテロ1:3,4.